私は50ccから1100ccまでさまざまなバイクを乗り継いできましたが、それぞれ最後は事故で廃車となったり人にゆずったり、転倒して壊れた段階で新しいバイクのための資金として修理せず売ったりなど様々な形でバイクを都度手放してきました。
その中で唯一、まともかも知れない状況で手放したバイクがFZR1000です。
87年式(88年登録)のFZRシリーズの元祖になるバイクで、赤/白の当時のYAMAHAストロボカラーと言われるワークスカラーをまとったバイクでした。購入して10年ほどたち、所々の事情で乗れない日々がつづき、あるときからエンジンもかからないようになってしまいました。
当時住んでいた家は外にバイクを置かざるを得ず、シートだけ被せた状態でした。シートは経年変化で破れてしまい、雨水もはいってしまう状態でしたのでバイクにとってはまさに野ざらしに近い状況でした。
マフラーはSP忠雄のコンバットマフラーが入り、ハリケーンのバックステップ、ステンレスメッシュホースといくらか改造が入っていたバイクです。
エンジンがかかるように整備したかったのですが修理するような状況ではなく、YAMAHAのタウンメイトに乗って会社に行く状態でしたので本当にただ税金だけ払う状態になっていました。
ある雨の日。このFZRを最後までどうするか考えていましたが車検が近づき、どうしようもない形になっていたのです。
それはおもむろにテレビコマーシャルを思い出してバイク王に電話しました。まったく何も考えず、ただ単に思いつきでした。雨の中、シートを外してデジカメで写真を撮っていました。思いつきで電話したのにとても悲しくなったのです。
30分ほどでバイク王が来ました。
車検がちかづき、エンジンもかからない状況だということ。年式もつたえ、改造箇所も一緒に見ながら説明しました。その若い男性は20代後半くらいで熱心にバイクを見ていましたが、古いバイクであること、70,000キロを走っている事、エンジンがかからない事を理由に「0円」と言ってきました。
ほんとに?と聞き直しましたが廃車にするだけでも1万円するので、それを負担してあとはバラバラにパーツにしてストックする、ということでした。
もう10年も乗っていますし、この状態のバイクならしかたないな、と思いました。
車検証やその他書類を渡し、愛車を引き取ってもらいました。どこかで元気に元気に走っていてもらいたかったですが、おそらくそのままパーツにされていると思います。
今思うとパーツ売り前提として話すればいくらかお金になっていたかもしれません。ですがあの時はバイクが消えるさみしさともうパーツになるんだというショックで一杯だったのでそういう機転は全くききませんでした。
今のバイクをもし売るときが来たら。。。とは考えません。たぶん廃車にしちゃいますね。
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