【リターンライダー体験記】僕がふたたびバイクに目覚めたきっかけ

バイクの衝撃

14歳で初めてバイクに乗りました。友人の父親が、河原で乗せてくれたのです。その衝撃は、30年以上経ったいまでも覚えています。彼のバイクはAR50という原付でした。たった50ccなのに、そのスピードはマッハのように感じました。「このひねるモノ」をひねると、いくらでもスピードがわき出てきたのです。

後日、「ひねるモノ」は、「アクセル」ということを知りました。

バイクは、自家用車やバスや飛行機と同じ「乗り物」の仲間ですが、そのときのAR50は、そんな一般名詞では足りませんでした。「バイクは乗り物じゃない。バイクはバイクだ」そう思いました。

◎高校生でバイトして

バイクへの想いは募っても、当然、買うことはできません。それでバイク雑誌を買いあさりました。2冊の雑誌を定期購読して、それにプラスして毎月1、2冊を特集によって買っていました。

そうしてようやく高校生になったのです。入学してすぐにガソリンスタンドでバイトを始めました。バイトの先輩も高校生で、バイクに乗っています。

当時彼らが乗っていたのは、CBX400F、CBR400F、FT400、RZ50などでした。仕事が暇なとき「先輩のバイク、磨かせてください」と頼みました。もちろん、報酬なんて要りません。バイクの金属とプラスチックに触るだけで嬉しかったのです。「変わった奴だ」と思われた一方で、とてもかわいがってもらえました。

当時、全国の高校では「3ナイ運動」という、バイク禁止運動が吹き荒れていました。それでも教習所に問い合わせると、「学校に報告することはない」と言います。それで教習所に通い始めました。1年間働いて貯めたおカネに、親の補助を加えて買ったのが、GPz400Rでした。

80年代後半のその当時は、レーサーレプリカ全盛の時代でした。GPz400Rは、レプリカでもないし、ツーリング専用でもないという独特の位置づけでした。フルカウルをまとっているのですが、上下に2分割されていて、その2つのカウルパーツの間をフレームが通っているという変わった作りも話題でした。

こうしてGPz400Rのことを書いているだけで、あのときの幸福感を思い出しますね。どこまででも行ける、永遠に走れる、無限の可能性――本当にそう信じていました。

でも、進学校ということもあって、高校の友人でバイクに乗っている人は皆無でした。せいぜい原付のスクーターです。なので、いつも1人で走りに行っていました。友達なんか要らないと思っていました。

◎バイクを降りる決心

高1でバイトをして、高2でGPz400Rに乗り、そして高3になってバイクを降りました。受験勉強を始めなければならないからです。バイクは兄が乗りました。あんなに好きだったバイクですが、手放してしまうと案外平気でした。

そして受験失敗。浪人生活がスタートしました。当然、バイクなんて乗れません。でも予備校に行くための「足」が必要だったので、兄のDT50を借りることにしました。しかしこのバイクには、なんの感慨もありませんでした。DT50もAR50も、同じくクラッチギア付きの原付バイクですが、AR50ほどの感動を与えてくれることはありませんでした。単なる「乗り物」でした。

大学生活が始まると、今度は交友関係にはまりました。大学の友人たちは、25年が過ぎたいまでも付き合いがあります。大学1年生の私は、彼らと酒を飲んだり、合コンに行ったり、キャンプに行ったりすることに忙しくて、バイクに戻ろうなんて一度も思いませんでした。

◎就職しても

大学を卒業して企業の事務職に就きましたが、今度は車やら結婚やらで、やはりバイクに縁のない生活でした。

30代になると、とてつもない量の仕事をやらされました。会社の犬になって働き続けました。それだけ働くと、仕事がうまく回り始めました。つまり、犬としてそこそこ幸せな時代でした。

◎暇になって

38歳になって、転職しました。仕事量がそれほど多くないし、仕事も難しくなかったので、一転して暇な生活になりました。そんなときに、ふとバイク屋に入ったのです。

そこは全国チェーンの大型店でした。そこでは、20分くらいなら、店員の目を気にすることなく店内を回遊できました。バイクを見放題です。店員に声をかけられても、「買う予定はないのですが、見ていていいですか?」と言いました。中には嫌な顔をする店員もいましたが、でも大抵は「どうぞどうぞ」と言ってくれました。

そんな生活が続きました。つまり、バイク店を20分うろつく→3カ月ぐらいバイクのことを忘れられる→4カ月目で、またバイクを見たくなる→バイク店を20分うろつく→仕事を頑張る…の繰り返しです。

たまに妻に「バイクに乗りたいなあ」と言ってみるのですが、「おカネがないからねえ」とか「その歳で危ないから」と反対されました。それで仕方なく、バイクを買うことなく、バイク店の回遊だけを続けていました。

◎釧路への引っ越し

転職生活が続き、とうとう、札幌を離れ、日本の東の端(はじ)、釧路市に転居しました。ここでの仕事も暇でした。それで釧路市内のバイク店巡りを始めました。ここでもバイク店の店員に「すみません、買う予定はないのですが、見ていていいですか?」と言いました。店の人は親切に「放置」してくれました。

バイクを買うきっかけになったのは、店員さんが代わったことが大きいです。釧路のバイク店で私の対応をしてくれたのは若い店員だったのですが、その人が本州の店舗に転勤したのです。それで、私の雑談相手は、店長さんになったのです。

転勤した店員さんは20代後半でした。店長さんは40代前半で、私と同世代です。だから、私が興味を持っていた昔のバイクを、店長さんはすべて知っていました。

「知っていた」どころではありません。彼はそのほとんどに乗ったことがあるのです。もちろんバイク店の社員の特権で、仕事として様々なバイクに乗るのでしょう。しかし私がとても感心したのは、そのインプレッションだったのです。

◎店長に背中を押され

馬力がどうのとか、乗り心地がどうのといった、細々とした知識も相当お持ちなのですが、それよりも「このバイクの開発秘話」みたいな「特別な物語」がとても興味深いんです。

それを語るときも、変に知識をひけらかす風でなくて、私の趣味趣向を理解して話題を選んでくれる感じなのです。「もしバイクを買うなら、この人から買いたい」と思うようになりました。

さらに私の背中を押したのは、釧路という土地でした。釧路と、厚岸(あっけし)という土地の間に「北太平洋シーサイドライン」という国道が走っています。幹線道路は別にあり、ここは裏道です。しかしその名の通り、ずっと太平洋が見えます。カーブもほどよくあって、バイク走行に適した道です。

釧路に移住してすぐに、自動車でここを走りました。そのとき、「この道路は日本一美しい」と思いました。そして「釧路に住んでいて、バイクに乗らないのはモッタイナイ」と思いました。

そのとき、中学、高校時代に夢中になった「バイク愛」が、心の底にくすぶっていたことが分かりました。ブツブツくすぶりながら、火種が残っていたんだなあ――と思いました。「よし、買おう」そう決心しました。妻には「それでもバイクを反対するなら離婚するぞ」という勢いで臨みました。妻も私の迫力に、渋々了解してくれました。そして店長にこう伝えました。

「もしNSR250Rの掘り出しモノがあったら、ぜひ取り寄せてください。ただ、予算は40万円しかありません。可能な限りノーマルで」

見事なくらい、この要望通りのNSRがやってきました。まだ納車整備前でしたが、無理を言って見せてもらうことにしました。もちろん「新車のように」とはいきません。値段相応の状態です。でも「小遣いの範囲内で遊べるおもちゃ」としては、十分です。

それから1週間後、店長から電話が来て、「いつでも納車できますよ」とのこと。バイク店に出向くと、店長は店先に、青色のNSRを出しておいてくれていました。

事前に十分レクチャーを受けていましたが、私の不安げな顔を察知した店長は、この日も詳しく「走らせ方」や「おかしいなと思ったときの対応」を、いちから教えてくれました。

そして出発。ヘルメットを被り、NSRにまたがり、キックでエンジンをかけ、軽くふかして、クラッチレバーを握って、ギアを1速に入れて、クラッチレバーをじわーっと離して、「ストン」。エンストです。店長と私で高笑いです。

それでも無事、帰宅できました。幸いにも、自宅の物置が広く、NSRはその中にすっぽり入りました。

◎海を眺めながら

NSR250Rを購入した翌日、早速ツーリングに出かけました。バイク店には、私の仕事の休みに合わせて納車してもらったのです。行き先はもちろん、日本一美しい道路「北太平洋シーサイドライン」です。

自宅を出発して20分、かろうじてシフトアップダウンに慣れたころ、ようやく住宅街を抜けました。緑が多くなり、そして、この道のハイライトがやってきました。太平洋が見えてきたのです。車では何度も通った道ですが、「ヘルメットの中から見るとこんなにいいんだあ」と感激しました。

そのころになると、道はくねくねカーブを描きはじめます。シフトダウン、ブレーキ、体重移動、遠心力体験、そして加速――懐かしいような、初めての体験のような感じがしました。「これが20年ぶりっていうことなんだなあ」と思ったりもしました。

釧路の太平洋は、湘南の太平洋と異なり、断崖絶壁の向こうにあります。そして、湘南の太平洋岸沿いの道路と違って、渋滞とは無縁です。10分間ぐらい、ほかの車もバイクも見ないこともあります。信号もまったくありません。道路と太平洋を独り占めできます。これが道東の道の最大の魅力かもしれません。

◎店長に報告

往復50㎞ほどのミニミニツーリングでしたが、何よりも無事に帰宅できたことに喜びました。緊張とNSRの前傾姿勢のせいで、腰やら肩やら背中やらが痛くて仕方ありません。それでも、すぐに自宅前で洗車をしました。みるみる汚れが落ちていくのと、NSRにべたべた触れるのが嬉しくて、ウエスはバイクの奥へ奥へと入っていきます。

それから週末が楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。「20年前にGPz400Rを買ったときも、こんなだったっけ?」と思い返したりしました。2カ月ぐらいそんな調子でひとりで出掛けていました。

そんなある日、「店長にあいさつしなきゃ」と思いつきました。こんなに楽しい体験のきっかけを作ってもらいながら、お礼をするのを忘れていました。それで、缶コーヒーを、スタッフの分を含めて10本買って、NSRでバイク店に行きました。

すると店の前に、NSR250Rがありました。売り物ではなく、客のモノでした。私のは2型ですが、それは3型でした。バイクに乗っている人でも、NSRに興味がない人には、2つのNSRのカウルのデザインやスイングアームの形状の違いに気が付かないかもしれません。いずれにしても、NSR乗りがいることに嬉しく思いました。

店の中に入ると、店長は接客中でした。ほかに男性客が3人いて、店内に並べられているバイクを見ていました。すると3人のうちの1人が私に「いま来たNSRですか?」と声をかけてきました。私は「じゃあ外のNSRはあなたのですか?」と返しました。

それからNSR談義です。ほかの2人も加わって、とても盛り上がりました。そうしているうちに店長の手が空いたので、3人には失礼させてもらい、缶コーヒーを店長に渡しました。忙しそうだったので、お礼を言い、NSRの好調ぶりを報告して、帰ることにしました。

◎仲間入り

店を出てNSRの近くに行くと、先ほどの3人も帰るところでした。そのとき、「僕たちツーリンググループを作っているんですが、今度一緒に走りませんか?」と誘われました。私は「ぜひお願いします」と答えました。でもそれだけでした。向こうもそれでヘルメットを被り、私もヘルメットを被り、エンジンをかけ、会釈を交わして別方向に走っていきました。

「一緒に走りませんか?」はライダー同士の軽い挨拶としか思っていなかったのですが、その翌日、バイク店から電話がかかってきました。「◎◎さん(私のこと)、うちの店で□□さん(3人のうちの1人の名前)にツーリングに誘われましたよね。よかったら、連絡くださいとのことでした。□□さんの電話番号は…」

すぐに電話をすると、次の日曜日のツーリングに誘われました。「リターンしてすぐにこんな出会いがあるんだなあ」と感激しました。

◎コンビニ宴会

そのツーリンググループには20名が所属して、平均年齢は40歳ぐらいでしょうか。女性も3人います。毎週日曜にツーリングを企画していましたが、メンバーは、仕事や家庭の事情に応じて、無理のない程度に参加すればいいのです。なので、毎回、大体7、8台ぐらいで走ります。この「ゆるさ」がとても心地いいのです。

「コージャン」がグループのしきたりでした。休憩場所のコンビニで、みんなでジャンケンをして、負けた人が缶コーヒーを御馳走するのです。「コーヒーのジャンケン」で「コージャン」です。おじさんとおばさんが、中学生のように「勝った」「負けた」で大盛り上がりです。

4回ほど参加して、NSRが故障し、バイク店に入院しました。しかも10月半ばになっていたので、私はそのままシーズンオフに入りました。でもメンバーは12月上旬までむりやり走ったそうです。北海道釧路市で、ですよ。12月の釧路は雪はほとんどないのですが、寒さが尋常じゃありません。「根性」がなければできない荒行です。どうしてここまでやるのかというと、「1年で最も遅くまで走った」という称号が欲しいからだそうです。

なので当然、「最も早い日に走った」ことも勲章になります。本州以南の方には、この凄さは伝わらないと思いますが、「4月上旬に走る猛者」も、うちのツーリンググループにはいます。道路にはまだ雪が残っている時期です。相当すごいことです。

◎リターンして一番良かったこと

まさか40歳を超えて、友達ができるとは思っていませんでした。私はゴルフもパチンコもやりません。キャンプも家族でやるぐらいです。人見知りというわけではないのですが、「この年になって新しい交友関係を作るのは面倒」と思っていました。仕事上の人付き合いで「お腹いっぱい」と感じていました。

なのでリターンした当初は、1人で走っていました。それが、バイク店で声をかけられただけで、一緒に走ることになったのです。とてもスムーズに仲間に入れましたし、メンバーもとてもスムーズに私を迎え入れてくれました。

これほどスムーズにいったのは、「同じ臭い」を嗅いだからではないかと思うのです。職業も生き方も価値観も全然違うのに、「中年になってもバイク好き」という、たったひとつの共通点で、これほど簡単に友達になれるのは、すごいことだと思います。バイクって、そういう力を持っているなと思いますね。

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