90年代のバイクで名車を挙げてみた|大型が白熱し始めた時代の絶対王者

バイク界には大きな事件がたくさんありますが、1996年の免許制度の改正もそのひとつといっていいでしょう。大型バイクの免許が、教習所で取得できるようになったのです。

それまで大型免許の取得は、試験場一発合格しか道がありませんでした。それは「バイク=速い=危ない」ということが常識化されていて、「大型バイク=暴走されたらかなり危険」という考えが国にあったからです。国は「若者には大型バイクに乗せたくない」と考えていたのです。

 

その固い扉をこじ開けたのは、残念ながら外圧、つまり海外の力でした。ハーレーダビッドソンやドカティ、BMWといった海外メーカーは、中型車以下のバイクをあまり得意としていませんでした。なので、400ccのバイクまでしか乗れない、中型免許の取得者が多い日本では、販売成績がかんばしくありませんでした。

日本は4輪車を海外に売りつけているのだから、日本は海外のバイクを買え、ということになり、「大型免許の解禁」となったわけです。

 

さて、大型免許が普及すると、ライダーはこぞって750cc以上のバイクに群がりました。そして750ccよりは900cc、900ccよりは1000ccと、「もっと大きく」「もっと速く」と求め続けました。

ホンダのCB1000SuperFourとCBR900RRは1992年に、ヤマハのYZF-R1は98年に、カワサキのZZR1100は90年にそれぞれデビューしました。この4台は、現代でもスーパーマシンとして生き続けています。まさに90年代は大型豊作の時代といえるでしょう。

◎隼という絶対王者

しかし私は90年代を代表するバイクとしては、隼(はやぶさ)を挙げたいと思います。

正式名「GSX1300R HAYABUSA」は1999年に発売さました。まさに90年代を締めくくるにふさわしいバイクといえます。

まずは、そのたたずまいです。それはバイクという金属とプラスチックでできた工業製品とは思えないほど、有機的な存在感です。2つのタイヤ、正面と側面を覆うカウル、人が座るシート、左右に動かすハンドル――バイクとしての要素は、ほかのバイクとまったく同じなのに、そこに隼が置いてあると、思わず両手で撫でてしまいたくなります。

そして暴力的なスピードです。公道を走ることが許された最も速いバイクとして、ギネスブックにも認定されました。記録は時速312.29kmです。

音速は時速12000kmですから、隼は、あとたった4倍速く走るだけで、音の伝わる速さになるのです。そんな物体に、人が命綱も付けずにまたがり、公道を走るのです。しかもそれを作ったのは、スピード狂のアメリカ人ではなく、日本を代表する上場企業のメーカーなのです。

 

いまでは、先に紹介したカワサキZZR1100が、ZX-14Rに進化しました。そのネーミング通り、その排気量は、隼を上回る1441ccです。ですのでZX-14Rは、隼と同等かそれ以上のモンスターといえるでしょう。なので、こちらも正気の沙汰とはいえません。

しかしなぜか、ZX-14Rには、恐怖を覚えません。それは、隼を見たときに、恐怖の感情を使い尽くしてしまったからだと思います。

つまり、真の意味で「隼を超える」には、少なくとも排気量を隼の3倍つまり4000ccにして、最高速度は音速の半分つまり時速600kmぐらい出るシロモノを作らないとならないでしょう。

それはさすがに無理だと思います。

もちろん、30年前に隼の存在を想像できたかと聞かれたら、「想像できなかった」と答えます。しかし、社会的責任を負うきちんとしたメーカーが、隼を超える公道を走れるバイクを、いまから30年後につくることはできないと思います。また、作ってはいけないとも思います。さらにえば、作る必要はないと思います。

そういった意味では、隼は90年代を代表するバイクというより、バイクを代表するバイクといえるでしょう。

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